自適人口の急増
―加齢に伴う生活様式の変化―
2005年国勢調査による、男女合わせた、年齢別労働力率は50歳前後で90%あるが、50歳代で次第に低下し、58歳では80%になり、それ以降は、加齢とともに、急速に低下が進む。
ただし、大企業等の60歳定年制があるが、継続雇用や転職もあり、労働力率が階段状に落ち込むわけではない。
また、家事等に従事する人口比率は、60歳前後の20%強から、70歳前後の30%弱まで次第に増えるが、その後低下し、80歳前後には20%となっている。
この結果、特定の仕事等を持たない人、いわば自適の生活にある人口(その他の人口)の比率は、次第に増加し、60歳代前後の10%から、70歳代前半で50%を超えさらに増加していく。
なお、加齢にともない身体に不都合のある人も次第に増加するが、急速に増加するのは70歳代半ば以降である。ここでは、身体に不都合のある人に関連して、総人口と一般世帯人口との差を施設等に住む人として描いた。この他に在宅介護を受けている人、あるいは、介護を受けるまでもないが、不都合のある人もいることに留意が必要である。
現在、団塊の世代が50歳代の後半に位置しており、今後、労働人口、家事等従事者、特に職を持たない人等の人口が急速に入れ替わっていくことが確実である。
(以下の記述は、議論の展開が不十分であり、この内容の掲載場所としての適切さにも懸念があるが、取り敢えずここで記述しておく。)
現在、人口の高齢化、出生率の低下、これに伴う人口減少が、日本の対処すべき大きな課題となっている。
しかし、地球温暖化に関しては、人口減少が最も優れた対応とも考えられる。現在の人類全体の温暖化ガスの排出量を限界とし、世界の人びとが平等な排出権を持つとすれば、先進諸国の一人当たり温暖化ガス排出量は明らかに過大であり、その活動水準を1/3程度に落とさなければならない。このため、一人当たりの活動水準をあまり落とさないことを望むのであれば、技術革新等を別にすれば、人口を減らすしかない。
しかし、人口減少に伴い、経済活動の水準を低下させることについては、経済活動は成長があって始めて安定するというメカニズムがあり、不安定化が避けられない。また、所得の再配分が一層厳しい課題として浮かんでくる可能性も高い。さらに、現在の経済のグローバル化のもとで、事業活動で打ち勝っていくためには、優れたスタッフを高給で繋ぎ留める必要があり、一方で発展途上国の労働力と競争するためマニュアル的労働者の賃金コストを極力切り下げる必要があるとされ、所得格差の上離れと底抜けが起きつつある。そしてこの状況に対応するためにこそ経済成長を達成し、その成果の滴下(トリクルダウン)が必要とされている。
こうした中で、1〜2%であれば持続的成長は可能という言説もあるが、これはためにする議論であって、根拠はなさそうだ。いずれにしろ国際的な囚人のジレンマの状況に陥っており、先進国は、外部不経済の行為をとり続けている。
この困難な課題にどう対応していくかは、ここでは深入りしないこととして、実は、地域としては、高齢者の新たな活動に大きな可能性を見出すことができる。
高齢者の活動の能力、資力、意欲は、個人差が大きく極めて多様であり、一様に語ることはできない。しかし、高齢者は、子育てを終えており、若干の年金があれば、その活動の自由度は極めて高い。海外旅行等の活動を繰返すのであれば、温暖化に膨大な負荷をもたらすが、地域で各自なりに動けば、計り知れない力にもなる。実際の行動は各自が主体的に採ることは当然として、こうした可能性について多様に議論され、個々人の主体的な行動で地域づくりが担われていく潜在的な可能性は認められる。
これまで、専ら経済成長を指向してきた団塊の世代、専ら利殖活動が普段の関心事(新聞を中心としてマスコミの情報はこれで埋まっている)となっている世相の下では、こうした議論や行動が実際に広範に起こっていく可能性を高く見積もることは必ずしもできない。しかし、潜在的には、住みやすい地域づくりの極めて高い可能性があり、他の手段が見つからない中で、各自なりに努力していく方向だと思われる(そのような地域が面白いのではないかと小生は考えている)。
(統計データ)
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(Jan.10,2007.Add.)
旧稿
増える元気な高齢者
高齢者の生活
人口の高齢化は、高齢者を支援する社会的負担が膨大なものとなり、困難な問題として議論されている。
しかし、介護等の支援を要する者は、60歳代や70歳代では1割に充たない。さらに80歳代前半でも約2割、80歳代後半以降でも約3割である。
逆に、職に就いている人は、60歳代で5割程度、80歳代前半でも1割近くである。さらに、介護等は必要でなく元気であっても就職していない人が、60歳代前半で4割、70歳代後半以降で7割程度いる。
子育てを終了した高齢者は、それ以前に比べて、生活費は相当に少なくて済む。このため、幾らかの年金があれば、相当自由な生活が可能であり、現在時点では、多くの高齢者が、自由な生活を楽しんでいる。
これに対して、今後の高齢化が一層進む社会では、年金等の給付も一層削減せざるを得ない。このため、社会全体が、厳しい生活にならざるを得ないとされている。
しかし、大多数が元気な高齢者であることを勘案すれば、高齢者の力によってこのような問題は、容易に解決できるはずである。各自が、それぞれの思いで、何らかの社会的貢献を少しずつすれば、社会全体のいろいろな面での共同的負担が軽くなり、総体として困難な問題の解決が可能となるはずである。
長寿社会は人類の夢であった。これを暗い社会と捉えることは、あまりにも逆説に過ぎる。
高齢者は若い世代と異なり、気力、体力等々に個人差が大きい。このため、その生活内容を一律に検討することはできない。しかし、人生の後期に、それまで生きてきた証としてある程度の年金を得、各自の力量で自由に社会的貢献を果たすのであれば、楽しい人生を描くことができるのではなかろうか。
このような社会が実現するかどうかは、現在の高齢者の判断に委ねられており、一層の高齢社会に向かって大切な役割を担っていると言えるのではなかろうか。
(なお、高齢期への蓄積のために子育ての負担を避ける行動は、明らかに合成の誤謬を孕んだ行動である。少子化社会については、このような行動が回避される社会的制度が求められている。)
(統計データ)
(Jul.01,2000.)
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(Jan.10,2007.Rev./Jul.01,2000.Orig.)