第3章 ゆとりある郷土
第6節 変わる安全の課題

第3項 地域から地球へ移行する環境問題

増加する水質汚濁公害
─公害苦情受付件数の推移─

 富山県の人口当たり公害苦情受付件数は、都道府県の中でもごく少ない。
 しかし、近年の推移では、多くの地域で減少しつつあるにも拘わらず、富山県では、1990年代に比して倍近い水準で横ばいとなっている。

 富山県の公害苦情受付件数を種類別にみると、水質汚濁が年毎に増加しており、2010年では最も多くなつている。
 ちなみに、富山県の人口当たり水質汚濁公害苦情件数は全国平均を上回っている。

 典型7公害について発生源の構成をみると、大気では、家庭生活が41%を占め最も多い。具体的には野焼きの煙などが多いとされる。
 また、水質汚濁では、家庭生活が26%、その他・不明が35%となっている。下水道の整備により減少することが期待されるのだが、各種の汚染物質の流出・漏洩が起こっている。


 苦情として顕れる公害は、実際に起こっている公害の件数・程度に対して、かなりの偏りがあることが想定されるが、今後、動向を注視していく必要があろう。
 また、水質汚濁などについては、家庭での不注意や対処困難な物の排出を削減がかなり難しい。

(統計データ)

(Dec.04,2011)



全国平均を超える水質苦情
―公害苦情受付件数―

 都道府県毎の人口百万人当たり公害苦情受付件数を比較すると、富山件は332件で、全国の765件の1/2以下となっている。これは、福島県の303件に次ぐ少なさでであり、経年的にも富山の少なさが目立っている。

 富山県での苦情件数の少なさは、敢えて苦情を呈さない性向があるとの議論もあるが、それなり公害が少ないことも間違いないであろう。

 全国各地の苦情件数の最近の推移については、1990年代半ばに一旦減少した時期があったが、その後再び増加し、現在は概ね横ばいで推移している。富山の推移も概ねこれに一致している。


 全国、各地域で件数は減少していますが、富山県は増加の兆しがあるようにも見え、今後の推移を注視していく必要があるようです。

(Dec.04,2011.Fig_Add.)




 1990年代後半以降の苦情件数の増加については、まず大気汚染苦情の増加があったが、これは、ゴミ焼却によるダイオキシン排出について関心が高まったことが背景にある。次いでその他(七大公害以外)苦情が増加したが、これは産業廃棄物放棄等への苦情が増加したものである。


 富山県の苦情件数は全体では極めて少ないが、水質苦情については全国平均を超えている。

 なお、地盤沈下苦情の全国比も高いが、3年度間での実数は1件である。


 公害苦情の内訳を業種別に見ると、富山県では製造業が相対的に多いが、これが水質苦情の多さににつながっていると考えられる。


 また、原因別では、産業排水及び流出・漏洩が明らかに多くなっている。


(統計データ)

→2005年掲載内容

(Jul.19,2008Rev.)




 

京都議定書を守れるか?
―炭素排出量の増加―

 温暖化ガスの排出については、地域なりに対応していく必要があるのではなかろうか。

 富山県の公害苦情件数の少なさは、公害事件の少なさを反映していることは間違いない。しかし、環境問題は、地域的課題に留まらず、地球的課題までに拡大してきている。具体的には、地球温暖化、オゾンホールの拡大、生物多様性の喪失などが困難な課題となって現れてきている。こうした課題に地域なりに適切な対応を図っていくことに、十分留意していく必要があろう。

一人当たり炭素排出量の変化

1990年
t/人
2004年
t/人
増加率
出所
富山県3.003.186.0富山県
日本2.242.7020.5アメリカ商務省
世界1.111.164.5
 実は、富山県は、このような地域を超えた課題には、必ずしも積極的に対応しようとしていないように見受けられる
 地球温暖化防止のための京都議定書では、日本は、2012年までに、排出する温室ガスを1990年より6%削減することとなっている。これに対して、富山の炭酸ガス排出量(炭素重量)の推移を見ると、1990年の3.4百万tから2004年の3.6百万tへと5.8%の増大となっている。また、人口当たりでは、この間に3.00t/人/年から3.18t/人/年へと6.0%の増大となっている。
 なお、データの出所が異なり整合性に不安はあるが、2004年の世界全体での人口当たり排出量は1.16t/人/年であり、富山はこの約3倍となっている。
 地球上の人間の活動による炭素の排出量が限界にきているが、人類一人当たりの排出許容量を平等と考えると、我々は現在の排出量を1/3以下にまで削減しなければならない。
 このような事態に対応していくためには、まず温暖化について確実な知識を持ち、その抑制のために、明確な行動を起こしていく必要がある。


 →「自然エネルギー県宣言」の提唱


 

本気でない個々人の地球温暖化対策
−電灯電気消費量の推移−

 富山県の人口一人当たり電灯電気消費量(2007年)は、2551kwhであった。
 都道府県別には、福井県が最も多く2714kwhで、次いで、石川、和歌山であり、富山県は、4番目となっている。
 電灯の電気は、家庭での消費ばかりでなく、一般の商業施設、事務施設など(民生業務部門)も含まれるが、工場等の電力は除かれる。このため、地域の人が、働き、消費するために使っている普通の電気需要とみて、人口当たりで比較することに一応意味はあろう(*)。ただし、東京のような夜間人口に比較し昼間人口が極端に多い地域は、大きなものとならざるを得ない。
 富山県、あるいは福井県、石川県で消費量が多い原因は、仮説として、家が広いこと、所得水準が高いこと、冷房・暖房双方の電力消費があることなどが挙げられるが、都道府県統計から相関関係を見出すことは困難である。

 電力会社では、電気(電力)の供給について「電灯」と「電力」に区分している。一般の表現では「電灯」は「灯」を意味し、分かり難いので、ここでは一部分で「電灯電気」と表現した。

 近年の富山県での電力消費の推移を見ると、工場等の電力については、横ばい気味で推移しているが、電灯については、年率3%弱で着実に伸びている。
 地球温暖化の問題から、エネルギー消費の削減が言われているが、家庭での消費削減については、精神的な努力はなされているとしても、総合的に見て、実質的にはなされていないといえそうだ。
 家庭での削減を促すためには、使用量によって逓増する電力料金体系などが必要なようだ。
 あるいは、省エネ型の製品の普及も手段であるが、テレビなどのように大型化を伴い、さらにこれに奨励金を出しているようでは、なかなか進まないであろう。


 ちなみに人口当たり自動車(自家用乗用車)保有台数については、依然として増加を続けている。ただし、人口の減少局面に入っており、実数では横ばいに近づいている。
 これまでの保有台数の推移を見ると、概ね1960年代後半に広範な普及が始まった後、さらに1990年代に普及が加速している。特に北陸3県の増加が著しい。これは、バブル経済の中で、さらには団塊ジュニア世代の住宅取得の中で、居住地が一層郊外に発散したためであろう。この結果、北陸地域での保有台数は、1990年代後半には、北関東に並ぶまでに飛躍している。
 実は、炭酸ガスの排出によって地球温暖化が進んでいると認識されたのが1980年代末であり、ヨーロッパの一部の国では1990年代の初めに既に炭素税の導入が始まっているが、我が国、特に北陸地域では、こうした状況を無視してきたといえよう。


 富山県の炭酸ガス排出量について、2005年の総排出量を京都議定書基準年1990年の排出量と比較すると、産業部門、及びその他での減少に対して、民生家庭部門では、30%を超える増加となっている。


 かつて、水質汚濁の解消等が大きな懸案であった時代に、産業部門では法規制の実施等により一定の時期を画して解消したが、民生家庭部門は、自発的努力を求めることには限界があり、結局は下水道の普及等を待たざるを得なかった。
 炭酸ガスの排出については、超低燃費の自動車の普及や化石燃料に寄らない発電の普及などに待たざるを得ないのであろう。

 地球温暖化の原因として、人間の活動による炭酸ガス等の排出が主因でないという説がある。確かに地球の気候の変化については分からない点が多く、現在の温暖化の主要な原因が人間の活動によるものではない可能性もある。逆に本来寒冷化してもよいのだが人間の活動により長期間温暖な気候が維持されており、現時点に至ってこのバランスが逆方向に崩れてきたという説もある。こうしたメカニズムの解明は引き続き行われていく必要がある。しかし、地球温暖化は進んでおり、自然災害が増加していることは間違いない。そして、その対応策として我々ができることは、温暖化ガスの排出の抑制であり、もしこれが主因でないとすれば、あきらめて放置するのでなく、一層の努力が必要となるのではなかろうか。
 また、「国際社会の中でどれだけの努力をするか」という課題に関して様々な考え方がある。そして、国際政治の問題となり、京都議定書以降の指針が策定できなくなっていることも事実である。ここで、地球全体の環境について考えることを放棄して、狭義の日本の利益を追究し続けていくかどうかは、まさに我々の生き方にかかっている問題であろう。

 

(*)
 電気事業連合会の人口当たり電灯使用量と家計調査での電気への支出(都道府県庁所在都市、二人以上普通世帯の支出を世帯人員数で除した値、2007年〜2009年平均)の都道府県毎の値の相関は、 決定係数ベースで0.44である。
 家計調査には、調査地域や世帯形態、標本数などの事情があり、電力会社による電灯使用量との相関には自ずと限界があるが、一応対応するものとなっていると言えよう。


(統計データ)

(Jul.27,2010)


 

地球温暖化対策に疎い富山県民
―CO2排出量の全国比と増減率―

 京都議定書の達成状況の確認の必要もあり、環境省では、地球温暖化ガス排出量を毎年推計し発表している。これに倣って、富山県でも推計がなされているが、その基礎統計には曖昧なものが多く試行錯誤がなされており、年によってかなり異なった数値が出ているようだ。
 推計されている数値については、県と国の数値の整合性が十分に確認できていないが、共通した項目で整理されており、エネルギー起源CO2 の部門別排出量(電気・熱配分後)で多分間違いないだろう。
 排出量の表現は、排出CO2ベースもしくはCベース、あるいは石油や木材(木材体積、森林面積)などに例えられることも多い。しかし、自分なりに理解し相対比較できる尺度を持っていることが必要と思われる。これを持っていないと、バランス感覚を欠いた努力を精神論として続けるはめに陥る。
 小生は、普段C重量ベースを利用し、人口当たりであれば、世界平均1t/年強、日本では3t/年弱を尺度にしている。
 なお、CとCO2の換算は、分子量が12:44であることから3.7倍となる。
 また、ガソリン1リットルで約0.63kgのCを排出し、月当たり100リットルの消費で0.76t/年となることを目安として利用している。

人口当たり年間C排出量

全国富山比率

kg/人kg/人
家庭371 504 1.36
業務その他508 470 0.92
運輸548 563 1.03
産業971 1480 1.52
エネルギー転換169 217 1.28

2568 3235 1.26
 富山県の人口当たり炭素排出量は、3.2t/年であり、全国2.6t/年の1.26倍とかなり多い。
 富山県は、基礎素材型の産業構造を持ちその排出量も多いが、家庭部門のみでは、富山県0.50t/年、全国0.37t/年で1.36倍と大きい。これは、住宅の広さによるところが大きいと考えられる。この面からは住宅の広さは自慢すべきことではなくなっている。
 さらに、自動車による排出は運輸に分類されており、富山県の個人生活では、この排出量も相対的に多いことは間違いない。例えば月100リットルの消費は、0.76t/年に相当している。

 その他には、エネルギー転換などが含まれ、火力発電などで大きくなっているのであろう。


 2005年の総排出量を京都議定書基準年1990年の排出量と比較すると、全体では、4.6%増となっている。
 これは、産業部門の4.8%減、及びその他の22.6%減の貢献が大きい。
 産業部門の排出の責任を誰が請け負うかはともかく、富山県の産業構造は次第に変化していかざるを得ないであろう。


一人当たり排出量の
部門別増減率
1990-2005年 %

富山全国
民生家庭32.5 32.6
民生業務30.0 40.4
運輸11.5 14.6
産業-4.0 -8.7
その他-22.0 13.0
合計5.4 9.9
 これに対して、家庭については、31.5%増と極めて大きい。全国の37.0%増より若干増加率が低いが、人口当たりでは、富山32.5%増、全国32.6%増と並んでいる。また、近年頭打ちになってきていると見られるが、自動車利用による運輸での排出も相当に増加していることであろう。



 温暖化対策の必要性の議論はしているが、実際には、富山県民は、全国と同様に、地球温暖化対策に極めて疎いのではなかろうか。
 県民も国民全体としても、生活行動、生産活動をことさら変えなくても、技術革新によって、排出削減が達成されると根拠のない期待を抱いているのでなかろうか。
 産業部門では、厳しい価格競争の中で自ずとエネルギー消費の削減が進んでいる。しかし、家庭活部門そして業務部門(事業活動の中の事務部門等)では、むしろ増加している。こうした状況は、かつて水質汚染への対処の際にも起きており、その過程で生活者の行動が変わらないことが大きな障害として浮かんできた。ただし、この問題については、下水道の普及によって次第に解消された経緯がある。
 行動を促すためには、早急に炭素税を導入する必要があるのではなかろうか。これによる経済停滞は本来避けることができない課題であり乗り越えていかざるを得ない。もちろん経済的弱者の困窮についてはそれなりの手当てが必要である。

(統計データ)

(Sept.06,2008)


 例えば、電力消費では、産業用の電力は横ばい気味だが、生活用等の電灯は伸び続けている。

 住生活の拡充が、電力を始めとするエネルギー消費を著しく大きくしていると考えられ、再考が迫られているようである。
 具体的には、例えば、エアコンを一旦利用し始めると、それを抑制し減少させることがなかなか難しい。エネルギー消費の少ない機器の開発も進められているが、それを上回って、利用が進んでいるようである。また、低エネルギー型のテレビの技術開発も進んでいるが、一方で大画面化し、エネルギー面では効果が帳消しとなっているようだ。


 また、地球への負荷の大きい自動車社会での交通手段の変革(モーダルシフト)なども重要な課題である。
 富山県では、交通手段として自動車に頼る社会となってしまっており、自動車の保有も依然として拡大し続けている。

 さらには、一方で軽自動車の普及も進んでいるが、他方では3ナンバーの普及も進んでいるようである。


 一方、消費生活と呼応し展開している、商業・サービス業のあり方なども課題を抱えていると言えよう。


 地球環境問題の厳しさについては、様々な報道がなされており、県民の認識も高いと想像される。
 しかし、これに対応する行動としては、どうも枝葉末節に終始しているように見受けられる。本当に、生活行動を変えていこうとする様子が見られない。
 というより、生活行動を変えていかざるを得ないようなメカニズムがない。所得があって、商品が店に並び、サービスが提供されるシステムがあれば消費されるのは当然であろう。
 一般に、消費を控えるシステムは、価格メカニズムである。ガソリン等の値段が上がって若干の変化は間違いなくあるが、本格的な行動変化を促していない。

 どうも、意識改革こそ必要という考えが太宗を占めているらしい。しかし高所得者が自ら控えようとする意識などない。高所得は高消費につながるため、一人当たり炭素排出量が自ずと多くなる。極端に言えば、高所得が倫理的に望ましくないことだととも言える。J.ロックによって所有が正当化され金儲けが容認されたが、「金持ちが天国に行くのは、駱駝が針の穴を通るより難しい」という発想を再認識する必要があるのではなかろうか。
 一方、エネルギー消費を削減するために消費の抑制を直接的に主張することが困難な社会が形成されている。マスコミの収入源には広告収入も多い。このため、大画面のテレビや3ナンバー自動車の普及などに直接的に疑問を呈することができないのは道理である。
 また、為政者は、票を念頭に置くと、やはり個々の事業を直接否定するような発言はできない。
 いわば、民主主義社会が迷走している状況にある。
 ちなみに、ヨーロッパの幾つかの国では、こうした迷走を避け、排出量の削減を実現させている。


 このような障害を避け、かつ抑制が進むメカニズムはやはり高率の炭素税の導入であろう。
 これに対しては、消費への広範な課税は、低所得者等に厳しいため、否定的な意見がある。さらに、経済活動を萎縮させるとして否定する意見も強い。もちろん、低所得者層には別途対応をしていくことが必要である。そして、経済活動の縮小自体が避けられない時代に入っているのではなかろうか。あえて調整して言えば、エネルギー消費の少ない経済構造へと転換していくことが迫られており、現下の経済活動は改めていかざるを得なくなっている。
 ちなみに、現在、エネルギー価格の高騰で困難に陥っている事業者を支援する議論があるが、総論としては疑問を感じる。

 現時点では、炭素税等の制度的枠組みがなく、エネルギー価格の高騰を別にすれば、排出削減の契機さえ見えていないようだ。
 このように、日常生活の中での温暖化ガス排出を抑制していく方策についての明確な指針がない状況下ではそれを、社会や他人の責めにするのではなく、それぞれの立場で、産業活動での配慮はもとより、個々人も確実に対応していくことが求められている。しかし、極めて心許ない状況である。

 温暖化による気象変動は富山にも植生の崩壊、海岸の浸食、その他多様な災いをもたらす可能性が極めて高く、風水害、高潮等にしなやかに対応できる強い地域づくりに配慮するなど早急に危機管理の行動も起こしていく必要がある。ちなみに世界全体では、既に自然災害が指数関数的に増加し続けている。
 さらには、温暖化によって副次的にもたらされる食糧危機等への備えなども欠かせない。

(統計データ)

(Dec.08,2007.Rev./May.11,2003.Orig.)


 アメリカは京都議定書への参画を拒否しているが、130以上の都市の市長が、独自の協定により、京都議定書に盛り込まれた温室効果ガスの米国の排出削減目標を独自に目指すことを明らかにしている。また、州レベルでも9州が、排出量取引などを通じた自主削減の取り組みを進めている(2005年5月17日YOMIURI-ONLINEによる)。
 日本の自治体では、地域なりの見識ある行動については否定的な考えが多いと見受けられるが、自らの見識ある生き方として、積極的に行動する必要があるのではなかろうか。

(May.22,2005.Add.)




(当頁は「富山を考えるヒント」本論の最終頁です。)
節目次
表紙

(Dec.04,2011.Rev./Dec.12,2001.Re-ed.)