第2章 富山の舞台
第2節 人口動態の転換

第3項 自然動態

自然減時代への突入
―2003年以降の出生数減少―

 団塊ジュニア世代の出産期通過により2003年より出生数の明確な減少が始まった。一方、死亡数は漸増し続けており、2003年から自然減の時代に突入した。

本項目は記述が古くなっています。早期に改訂する予定です。

自然増減の推移

 出生数の減少と死亡数の増加で、まもなく自然減が始まるようにみられる。
 出生については、合計特殊出生率が減少しているが、第二次団塊の世代が出産のピーク年齢に差し掛かっており、当面出生数は横這いで推移している。
 死亡率は各年齢層とも低下し続け平均寿命も引き続き上昇し続けているが、高齢者の増加により、死亡数は漸増し続けている。
 富山県の出生数の動向を詳しく見ると、平成6年で若干の増加に転じており、富山県の人口が自然減に転じるまでには若干の時間がある。


人口動態の長期的推移(Feb.06,2005.)




人口動態の変調
―出生率の上昇・自殺率の低下―

 2010年の人口動態調査の速報で、合計特殊出生率の上昇など基本的な指標で基調の変化と見られるものがあるとの報道があった。
 その要因としては、推測にすぎないが、緩やかではあるが景気回復の見通しがでてきたこと、派遣社員のあり方など新自由主義的発想を再考すべきとの議論が出てきたことなどで、生活の安心感が若干高まったということであろうか。

【合計特殊出生率】
 まず合計特殊出生率については、全国では、2005年を底にして上昇していることがはっきりしてきた。

 実は、社会保障人口問題研究所の最近の人口推計では、当面若干低下したのち極めて緩やかに上昇という仮定を基調としていた。この仮定は、コーホート別(同年誕生のグループ別)の出生率の推移の検討から行われており、考え方としては正当であるが、どう違ったのか理解するのは容易ではない。


 富山県でも2006年を底にして若干回復しているようである。
 (詳しくは、後述。)


 年齢階層別の出生率をみると、20歳代での下げ止まり、30歳代での上昇がはっきりしている。


 30歳代での上昇がどこまで続くかが関心の持たれるところであろう。


 富山県の出生率について、女子の各年齢での出生数(「人口動態調査」)を人口数(富山県「人口推計」)で除した値を合計して合計特殊出生率を求めると、厚生労働省が発表している値と若干異なり、2005年の1.31から2008年の1.41へと変化している。年齢階層では、20歳代半ば、30歳代半ばでの上昇が目立っている。
 今後、こうした変化がどのようになっていくかは、定かでないが、注視しておく必要があろう。


 各都道府県の合計特出生率の地理的分布については、南方で高く北方で低い様相、及び都市地域で低くその他地域で高い様相が見られる。


 ちなみに、県庁所在都市の平均気温と各県のDID地区に住む人口比率で合計特殊出生率との重相関を求めると57%の説明力となった。


【自殺率】
 他方、自殺率については、0年代半ばのピークから若干低下してきているようである。
 特に富山県でこの傾向がはっきりと見られ、2010年には全国値までに低下している。


 各都道府県の自殺率の地理的分布から見て、富山県は、これまでの異様な高さから妥当な位置に戻ったように見受けられる。


(統計データ)

(Jul.09,2011)



出生

下げ止まった出生率
―合計特殊出生率の推移 2008年―

 2008年の合計特殊出生率は、全国で1.37人であり、富山では1.38人で都道府県の中では27番目の大きさであった。
 合計特殊出生率が特に高いのは、沖縄を含む南九州の諸県であり、逆に低いのは、大都市圏の都府県と北海道である。
 全体としては、南高北低の傾向があるともいえよう。


 全国の合計特殊出生率は、1973年以降趨勢的に低下し続けてきたが、2005年の1.26人を底に、ここ3年間は若干の回復傾向を見せている。しかし、趨勢が転じたと判断するのは時期早尚であろう。

 この趨勢変化と見られる状況について、いろいろな見解が述べられているが、説得的なものはない。
 ちなみに、政府による少子化対策の効果とする見解は、小渕少子化担当大臣のみだったようだ。タレントの出産ブームによるのではといったマスコミの報道もあった。


 先進各国の合計特殊出生率の推移を見ると、20世紀第3四半期には多くの国で低下傾向にあったが、第4四半期には国によって異なった趨勢が現れている。
 一般に生活の安定・向上とともに合計特殊出生率の低下が起こるとされる。しかし、それぞれの国の政策や社会環境によって差異が生じている。特に回復傾向のはっきりしているフランスなどでは、子育てのための手厚い支援が功を奏しているとされる。
 日本は、イタリアやドイツと同程度の水準で横ばいに転じたこととなるが、あるいは、一定の生物的・社会的環境の下での下限の水準なのかもしれない。

 年金制度の崩壊が露見したことでお独り様の老後の危険性を察知した結果というのは、小生が思い浮かぶ穿った見方である。


(統計データ)

(Jun.14,2009)



出産のピークは30歳代前半に移行か
―合計特殊出生率の下げ止まり―

 2007年の富山県の合計特殊出生率は、1.34で全国と同水準であるが、都道府県の中では15番目の低さであった。これは、大都市圏地域に次ぐ低さである。
 都道府県毎の合計特殊出生率については、一般に大都市圏で低いとともに、さらに西高東低の傾向が見られる。
 大都市圏で低いのは、仕事など家庭以外の事柄に励む人が相対的に多いこと、人と人が支えあう繋がりが弱く家族を形成し子育てをしていくことが相対的に困難なことなどがあげられよう。これらは、これまで「都市の自由」として肯定的価値を持って捉えられてきたことである。

 西高東低の傾向については、説明が難しい。これまで、多少とも同感できる説明に触れたことがない。


 全国の合計特殊出生率については、2005年の1.26であったものが、2006年1.32、2007年1.34と増加を見せており、低下傾向の転換かと注目されている。
 これに対して、富山県は2005年の1.37から、2006年1.34に低下し、2007年同水準の横ばいとなったもので全国の動きと若干異なったものとなっている。



 全国の年齢階層別の出生率の推移を試算して見ると、2005年では20歳代後半の減少が相対的に大きく、この時点で、出産のピークは30歳代前半に移行している。さらに2006年、2007年では30歳代での出生率の増加が見られ、出産のピーク年齢の移行が明確になっている。
 マスコミの論調では、このような推移については、かつて就職氷河期を経験した世代がこれまで安定した世帯の形成が相対的に困難であったが、景気の緩やかな回復基調が続いてきた中で多少の安定性を得るとともに、30歳代にあって出産を急いだためなどとされている。
 このうち、経済的環境の改善については、かつてバブル経済期の中でも低下趨勢があったことをどう説明するのか。低下要因が変質してきていることになりそうだが、この辺りをしっかりと述べる必要があろう。また、都道府県毎の値では、経済環境の状況説を支持していないようにも見られる。少なくとも基調としての要因とは捉えられない。

 なお、全国と多少違った動向を見せている、富山県についても出産のピークがどう動いているかは、別途、調べる必要がある。

(Jun.06,2008.)


 ちなみに、仮に合計特殊出生率の下限がありそれに向かって、年々一定の率で低下し続けている考え、その趨勢線と実績の相関係数が最大となる下限は、概ね1.10となる。

(Jun.09,2007.)



(統計データ)

さらに低下する合計特殊出生率
―2005年人口動態統計―

 2005年の合計特殊出生率は、前年より大きく、低下し、全国で1.25、富山で1.33となった。
 次世代の再生産には、若年での死亡率を勘案して2.07程度が必要とされるが、1.33はこの勘案なしで次世代が、2/3以下となる水準である。

 出生率を高める方策として、多様な議論がなされている。仮に、金銭的支援を検討するのであれば、子育てが、外で働くのと同じ収入となる程度の思い切った支援が必要であろう。これは、子育ても高齢者の扶養も社会で面倒を見ようという考え方である。
 逆に、高齢者の扶養をある程度を家族に委ねることを宣言すれば、つまり老後の社会的保証が不十分で子どもに頼らざるを得ない状況とすれば、出生が増える可能性もあろう。
 ここまで極端な議論をしなくとも、人々の自然な情(性向)によって、出生率は維持できるという主張もあろうが、その結果が現在の水準なのであろう。
 子どもの出生にかかわらず、本来求められる方向としては、各自が、自らの安定した生活の見通しを立てることができるもとで、その自由な判断で子どもを育てることが望ましいのではなかろうか。この意味で、雇用を中心とした生活の安定こそ重要なのではなかろうか。これは終身雇用という意味ではなく、多様なセフティーネットで勤労生活が支えられるということである。
 また、エスカレートした欲望のもとでは、人口減少こそ正しい選択かもしれない。


 都道府県毎の合計特殊出生率については、関東、関西の大都市圏、そして札幌、仙台、福岡といった大都市を持つ道県で特に低く、九州、山陰の県で高い。
 こうした中で、富山は中間の位置にあり、全国平均を上回っており、都道府県の中では19番目の大きさである。


 富山県の合計特殊出生率が全国平均より高いにもかかわらず、総人口に対する出生率は全国の8.4人/千人に対して富山8.1人/千人と都道府県の中で32番目の低い位置にある。
 これは再生産年齢世代の人口が少ないことが大きな原因となっており、さらに、結果として、15歳未満人口の比率が、全国のなかで、大都市圏に次いで低いものとなっている。
 再生産年齢世代の人口が少ないのは、一般には、流出人口の多さと理解されているが、都道府県の中での相対的な比較で言えば、次に述べるように、かつての低い出生率の結果である。


これまでの合計特殊出生率の推移

 全国の合計特殊出生率の長期的な推移については、戦後昭和22年のベビーブームのピークの後、20年代中は急速に低下した。さらに、30年代前半も低下基調が続き、36年に一旦、最低となった後、若干上昇し安定した。なお、41年は丙午で変則的な低下を見せている。
 これに対して、富山県では、30年代半ばまで低下した際、全国を若干下回る位置にあり、その後上昇がなく、全国で最も低い水準が続いていた
 このように、富山県の合計特殊出生率が低水準にあったことについては、大きな世帯の中で家事や子供の面倒見を他に任せることができ、また就業の場にも恵まれていたため、女性も働きに出ることが一般的であって、かえって出生数が減ったものと考えられる(ただし、都道府県の女性の労働力率と合計特殊出生率の相関は明確には見られない)。


 合計特殊出生率の都道府県毎の推移を見ると、富山県は、1970年頃に、全国でも特に低くなっている。1970年代の初めは、団塊の世代の出産期に当たっており、結果として、団塊ジュニア世代の人口が相対的に少なくなっている。
 ただし、その後、1973年を境として、全国の水準が低下し始め、1975年には、富山県の率が全国平均値を上回るようになっている。
 ちなみに1960年代半ばまで、富山県の人工妊娠中絶率は、都道府県の中では、相対的に高かったが、このことと1970年頃の合計特殊出生率の低さと関係しているようでもある。

(統計データ)

(Jun.03,2006.Rev.)



出生数の下げ止まりは不規則変動の範囲内
―2006年の変動の解釈―

 2006年の全国の出生数は、前年に比べて、増加となっており、出生の基調の変化があるのではないかと話題になっている。
 富山県でも人口推計統計に見られる住民基本台帳届出ベースでは、前年比3人減の下げどまりとなっている。
 しかし、過去の変動を見れば、この程度の増減で、基調の変化とはできず、今後の動向を見ていく必要がある。

 年々の変動が全国と富山と同期していることから見て、変動の原因はそれなりにあると考えられる。死亡の年々の変動について、冬季の感冒の流行などが背景とされように、出生についても、例えばかつてのニューヨークの大停電後に出生数の増加があったというように、それなりに解明できるかもしれない。

 なお、このような変動が話題となっているのは、現在、出生率に大きな関心が寄せられており、さらに死亡数と交差し人口の自然増時代に突入する時期でもあるためであろう。
 富山県でも自然減への突入時期に年々の変動に関心が持たれた(少なくとも小生は持った)が、基調的趨勢に変化はなかった。


 ちなみに富山県の月次別出生数の循環趨勢値とその二次回帰曲線と比較すると、構造的変化を議論するにはまだ時期が早いことがわかるであろう。

(統計データ)

(Feb.04,2007)



年齢別出生率の推移・全国

 全国の年齢別出生率の推移を見ると、若い世代の出生率が著しく低下してきている。これに対して、30歳代以降の率は若干増加してきているが、合計(合計特殊出生率;山型の面積に相当)では、低下が続いている。

年齢別出生率・富山県

 出生率を女性の年齢別に見ると、富山県は、全国に比してより若い方に集中している。
 かつて20歳代前半に鋭いピークがあったが、次第に20歳代後半へと移行し、そのピークも低下してきている。


未婚率の推移

 出生率の低下には、各年齢階層毎の未婚率の著しい増加が背景にある。
 富山県の未婚率は、全国より低い。しかし、富山県でも、20歳を過ぎたら結婚し子供を産むというかつての規範が崩れてきており、趨勢としては全国同様に未婚率があがっている。
 さらに、これまで、未婚は晩婚化として捉えられてきたが、非婚化の状況も現れつつある。

 非婚→2005年分析

 →離婚の状況

(統計データ)
(Jan.06,2002.Rev.)


幻に終わった団塊第三世代―約1万人を割り始めた出生数―

出生数の現況

 団塊第二世代が出産期を通過し、団塊第三世代は幻に終わった。

 合計特殊出生率が低下し始めた以前(昭和49年=1974年以前)の人口推計では、戦後の団塊の世代(昭和22〜24年、1947〜1949年生まれ)の子、孫、・・の団塊の世代が、概ね25年周期で生まれるとされていた。

 団塊第二世代については、ピークが昭和47〜49年(1972〜1974年)となっており、この推計は当てはまっている。

 団塊第三世代の誕生については、出生行動が変化しなかった場合、出生数は、概ね昭和60年頃までの低下の後、増加に転じ、そのピークが平成9〜11年(1997〜99年)にあると推測されていた。
 しかし、平成初年まで低下が続き、その後10年以上にわたりほぼ1万人水準の横這いで推移してきていた。この安定した推移は、まず合計特殊出生率の低下と出生世代の増加(団塊第二世代の出生世代化)が均衡した結果であり、次いで晩婚・晩産化による出産年齢のピークの3〜5年の遅延とピーク自体が低くなっていることによるもの考えられる。

 さらに、団塊第二世代の出産期通過により、平成15年には出生数は1万人を割り始めた。今後、出生数は、急激に減少していくことは間違いない。つまり、団塊第三世代は幻に終わったことが確定したと言えよう。

 ちなみに、内閣府の『少子化白書』(平成16年度)では、出生の回復には、今後数年間が大切な時期と記述され、一般にも字句どおりに理解されている。しかし、これは、仮に団塊第二世代がかつての世代が示した完結子供数2人を実現するとした場合、残された期間はわずかであり大切な時期としたもので、見出しで、こうした内容を捨象して、大切な時期と強調している。現実的には、ほとんど無意味な内容であろう。

 なお、10年以上にわたり出生数が1万人前後で推移していること、その後に再び急減期があることなどについては、小学校の児童数の減少が暫くの間は小康状態にあり、その後、急減するなど、多様な意味合いを持っている。

(Feb.05,2005.Rev./Oct.26,2002.Rev./Jun.20,1998.Add.)

(統計データ)


死亡

 人口の動向は、死亡率の変化によっても大きな影響を受ける。
 死亡率の動向については、別途、健康に関連する項で詳しく整理する。
 近年の死亡率は、各年齢階層とも着実に低下している。ただし、高齢者層の低下度合いは低い。
 しかし、逆説的であるが、死亡率の高い高齢者が増加しているため、死亡数も増加している。
 なお、死亡率の今後の見通しについては、各年齢階層での低下度合いがどのように緩慢になっていくか予想し難く、曖昧なものがある。


(統計データ)

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表紙

(Jul.09,2001Rev./Feb.11,2005.Rev.)